Awareness Intensive では、伝統的な公案に "コミュニケーション・テクニック" の要素が加わっています。この手法を用いるにあたって最初にコンフィデンシャリティについて話します。コンフィデンシャリティ とは、自分以外の参加者の話した内容や振る舞いについて一切口外しない約束です。参加者が安心して公案に向かうことができます。
「公案」は、2人がちょうど良いディスタンスを持って向かい合って座ります。一人が公案を投げかける人 "聞き手" 、もう一人が公案に向かう人 "話し手" になります。聞き手は鏡となり話し手を映し出すように話を聞きます。話し手は公案を受け取った結果として浮かび上がってくるもの、それが何であれ 選り好みせず、今この瞬間の事実についてを話します。一般的に知られる禅公案は一人で取り組みますが、Awareness Intensive では2人で互いに気づきを高め合いながら取り組んでいきます。
公案に向かう時、私たちの意識は内側に向かい、それが何であれ、その瞬間の自分の状態に真摯に向き合います。私たちの思考や感情は混沌としており、自分がそれにどう関わっているのかをみることができます。その過程で、私たちは自分が現時点でどのような状態であるかをはっきりと認識し始めます。時には、長年に渡って苦悩し続けた問題に光が差し込むこともあり、また、一気にトラウマのトリックから解放されることもあります。しかし、それが目的ではありません。
私たちの意識は氷山の一角であり、その一角から公案を通して矢の如く、深く内なる世界へ、また、真実へと向かっていきます。悟りや光明は、私たちがこれらのひとつから解放された瞬間、 "一瞥" として訪れることがあります。また、"自我" と "思い込み" がどれほど私たちを縛りつけているかに「はっ」とする瞬間があるでしょう。これらは瞑想によって頭の理解ではなく、体験としてやってきます。このような体験を通して私たちは本当の自己を、真の存在を感じ始めます。というのも、この時点でようやく ”執着” とは何かを理解するからです。そして、マインドの仕組みを知ることでしょう。
公案は私たちのマインドを一掃し、ピュア・コンシャスに誘います。マインドとは、思考と感情が複雑化したどんよりと重い雲のようなものです。公案はこれらを矢の如く通り抜ける一筋の光となります。公案メソッドと並行してアクティブ瞑想を行います。アクティブ瞑想によって体のエネルギーを活性させ、浄化の効果をさらに高めます。リトリートの間、例え1日であっても、普段の日常生活から離れ、自分と向き合う時間を持ち、「真我」を問います。このリトリートで行う公案メソッドの鋭さは、あなたが思う以上の効果を体験させてくれるでしょう。
鏡になる
相手を映し返す
公案にセラピストは要りません。自分の内側に入っていく時、何が助けになるか? それは自分が今ここ、この瞬間の体験にとどまっていることをアンカリングしてくれる存在です。それが聞き手の役割です。公案に取り組んでいる時、聞き手のジャッジメンタルな考えや視線は、話し手が内面の繊細な部分に入っていく妨げになります。公案を投げかけて聞く人;聞き手 は自分がまるで鏡になったように 話し手を映し出す ようにします。つまり、話を聞いている間、自分に起こるジャッジメンタルな考えや、聞いている間の自分の反応や影響など脇に置かなければなりません。ただ、シンプルに聞いている、と言う作業に入ります。この態度が 話し手を "今、この瞬間" にアンカリングし、パートナーの公案プロセスを促すことができます。
公案に向かう
外に向いた意識を内に向ける
公案に向かうのは "話し手" です。聞き手から公案を受け取り、一旦、自分の内側に落とし込みます、そして、その結果として何が浮かび上がってくるのかを観ています。浮かび上がってきた真実を変えようとせず、また何かを付け加えたりしません。あなたの真実と事実が蜘蛛の糸を手繰り寄せるようにあなた自身の真の姿に向かわせます。公案は、思考が動いている限り、その事実を受け止めます。
5分間の公案に向かう時間を終わりを知らせるベルが鳴ったら、"話し手" と "聞き手" が交代します。5分/5分を4回で1セットです。これを1日のうちに何回か繰り返します。
直接体験
今まさにこの瞬間のこと
話し手も、聞き手も、自分の置かれている状況の中で、その瞬間の実質的な体験に留まっています。瞑想はどこにも行かず、この瞬間に留まることです。あなたが何をしていようとも、どこにいようとも、あなた自身の体験に留まっています。直接体験とは、まさに "この瞬間の体験そのもの" が あなた であるということです。